« 5-4 地方気質を逆利用する。 | トップページ | 5-2 撮影終了後に北國新聞を訪れた理由。 »

5-3 石川県発の映画にしましょう。

「本当の意味での、石川県発の映画にしたいんだよね」
 溝上さんがそういったのは、確か『海辺のテーブル』の脚本作業にかかっているときだった。二〇〇六年の終わり頃だっただろうか。
「石川県の映画だから、石川県でお金を集めて、石川県の人と石川県で撮影して、石川県の財産にする。そんなことができれば理想なんだけどね」
「いままでにそんな映画はなかったんですか?」
「ないですね。だって手間暇がかかるでしょ」
 溝上さんがいわんとしていることはわかった。
 前にも書いたけれど、東京と石川県では経済規模が違う。一千万円を集めるにしても、東京なら一社ですむところを石川県なら数社必要になる。ということは手間暇は数倍かかるということだ。
 プロデューサーとしては東京の放送局やビデオ会社と組んで、がさっと製作費を集める方が楽だ。しかしそうすると上映やその後の主導権は東京の会社に握られる。利益が優先されるので地方貢献は後まわしになってしまう。
 それでは地方映画といえども、地方を舞台にした映画であって、地方のための映画でははない。溝上さんは地方の財産となる映画づくりにチャレンジしようというのだ。
 そのためには製作費は石川県内で集めなければならない。中心的役割を担ってくれたのが藤岡さんだ。
 藤岡さんは仕事の関係で十二月のひと月と、二〇〇七年の二月と三月、さらに五月から七月前半まで金沢に滞在することになった。
 その間、白羽監督や溝上さんと私は頻繁に金沢を訪れ、藤岡さんがセッティングする企業の担当者に映画の趣旨説明をしてまわった。しかし二〇〇六年は具体的な成果はまるでなかった。
 中央と地方の違いは経済的なことだけではなかった。
 決断が遅い。というよりまわりの状況をまず確認してから判断する。よく言えば協調性を尊ぶということだけれど、悪く言えば主体性や自主性がないということになる。企業へ説明にいってまず聞かれるのは、
「他にどこへ話をもっていかれましたか?」 
 ということと
「反応はどうでしたか?」
 ということだった。
 はじめは正直に苦戦していることを伝えたが、中央と地方の違いがわかるとこちらも芝居をはじめた。もともと私は関西人。商売におけるはったりは伝統芸のようなものだ。
「ええ、○○さんがけっこう乗り気で。今なら一番乗りはウチやなっておっしゃってました」
 などとはったりをいって相手の気を引いた。
 また、東京の企業と違って、地方の企業の場合は一度の説明で結論がでることはない。断る企業は初回の説明の後で“なかったことに”ということになるけれど、前向きに検討したいとおっしゃる企業には、まずは担当者と、次に上司と、次には役員という具合に、二度も三度も伺わなければならない。
 私たちが月に何度も金沢へ通っていたのは、協賛を検討中の企業へ後押しも含まれていたのだ。
 年が明けるとやっと協賛企業が決まりかかった。この企業に初めてお願いに伺ってからもう三ヵ月がたっていた。
 石川県には、金沢・のと共栄・北陸・鶴来・興能という五つの信用金庫があって、藤岡さんが取引のある金沢信用金庫の方に映画の話を持ち込むと、能登の宣伝になる映画なら地元密着型の銀行としては協力しないわけにはいかないと前向きな返事をくださった。
 二度三度と打ち合わせを重ね、全体会議の席にも招かれ、五つの信用金庫の役員の前で趣旨の説明を行った。協賛金額は理事長会議に委ねることにして、全体会議では協賛への了承を得ることができた。
 これは大きな一歩だった

|

« 5-4 地方気質を逆利用する。 | トップページ | 5-2 撮影終了後に北國新聞を訪れた理由。 »

第5章 地方発映画という新しいビジネスモデル。」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1008911/20917243

この記事へのトラックバック一覧です: 5-3 石川県発の映画にしましょう。:

« 5-4 地方気質を逆利用する。 | トップページ | 5-2 撮影終了後に北國新聞を訪れた理由。 »