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4-1 三月二十五日の能登半島地震。


 三月二十五日は日曜日だった。
 いつもより遅めに起きて、ねぼけまなこでテレビを見るとはなしに見ていた。そのとき、弱い揺れを感じた。
 地震だ。
 阪神大震災を経験してからというもの、たとえ弱い揺れでもいつかドーンと強い縦揺れが襲ってくるかもしれないと恐怖に怯えるようになっている。恐怖は経験から生まれのだ。
 しかしそのときは弱い地震がつづいた。いつもより長い。
「弱い地震が長くつづくと、どこかで大きな地震が起こった可能性があるんだって。この前の理科の時間に先生がそう言ってた」
 次女がそんなことをいう。
 弱く長い地震が収まってすぐ、テレビで速報が流れた。
 能登で震度六強の地震!
「パパ、大変!」
 速報をみて妻が叫んだ!
 テレビは特別番組に切り替わり、能登の被害が伝わりはじめる。
 輪島や穴水の知り合いに電話をかけた。もちろん伝わらない。電話は緊急時にほとんど頼りにならない。安否を確かめるメールを送るばかりだった。
 白羽監督に連絡をとった。午前中はとりあえず様子を見ようということになった。午後に白羽監督から連絡があって、明日、能登へ入るという。
 白羽監督は阪神大震災の被災者で、親族の方も数名亡くしている。自分の経験を照らし合わせると、いてもたってもいられないのだろう。
「いっしょにいかないか?」
 行きたい気持ちは山々だった。穴水の岡崎さんや橋本さん、輪島の川原さんや大積さんや深見さん、能登島のさとみさん他、みなさんの安否が心配だった。命や身体に別状はないとしても、精神面ではどうか、建物は大丈夫なんだろうか。心配はつきない。
 しかし私のスケジュールは、翌日からの三日間ぎっしり詰まっていた。
「しゃーない。気にせんでええ。オレひとりで行ってくる」
 白羽監督は震災の翌日に輪島、穴水入りをした。
 車には大量のミネラルウォーター、お菓子、そしてサランラップを積んでいた。
 サランラップ?
 お見舞いに行く先々で意図を問われたそうだ。答えを聞いてみんな感動した。
 ライフラインが傷ついている震災後は水が何より貴重だ。食事のとき、皿やお椀にサランラップを巻いてから使うと、食べた後はよごれたサランラップを捨てるだけでいい。皿やお椀を洗う必要がなくなるのだ。
 阪神大震災の被災者しか知らない、被災後の知恵だった。
 また、監督は店を営んでいる人にはいっときも早く営業するように勧めた。
 能登島のカフェ「海とオルゴール」のさとみさんも、地震のあとは悲しみに泣いているばかりだった。
「泣いていても何も前進しない。店が営業できる状態なら店の灯りを灯すことだ。その灯りが被災者のこれからの希望になる。お客は来ないかもしれないが、今は売り上げよりも店の灯りを灯すことが大切なんだ」
 白羽監督の言葉にさとみさんは心動かされ、翌日から営業をはじめた。
 しかし営業したくてもできない人もいた。
 穴水の橋本さんの店「幸寿司」は破滅的な被害を受け、とても営業ができる状態ではなかった。
 橋本さんは気骨のある人だからいつまでも悲しんでいることはなかった。「幸寿司」のファンは多く、再建を望む声はいたるところからわきあがった。
 かくして「幸寿司」は七月九日に新しく店をオープン。穴水の名店として全国にその名をとどろかせている。

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