« 4-1 三月二十五日の能登半島地震。 | トップページ | 3-6 石川県で支援組織が生まれる。 »

3-7 『海辺のテーブル』にタイトル変更。


 十月のシナリオハンティングの成果もあって、シナリオはどんどん成長していった。物語は大きく変わり、エンディングは海を見渡せるレストランの庭で盛大なフレンチの饗宴を描くことになった。
 年が明けると、シナリオの進展にともないタイトルも見直された。
 決まったタイトルは、『海辺のテーブル』。より料理に特化した内容が伝わるタイトルだった。
 二月の終わりについに印刷台本が完成した。
 前回の『海とキリコとアオイ』の台本が完成したときも込みあげるものがあったけれど、今回のアップはさらに感慨深かった。
 うれしいことに、前回の私の役である西田はこの脚本でもなんとか生きていた。
 最後の大阪会議の紛糾から約十ヵ月。何度も何度も金沢や能登に足を運んで、それでできあがったのは一冊の脚本だけじゃないか。金は集まっていないじゃないか。本当に撮れるのか。また、同じことの二の舞になるんじゃないのか。
 そんな声も聞こえてきた。
 製作という面でいえば、確かに課題は山積みである。しかし『海とキリコとアオイ』の場合と『海辺のテーブル』の場合では状況はまるで違う。
 地元で支援委員会が発足した。
 石川県の企業で協賛の話もぼちぼちあがりはじめている。
 北國新聞社の稲垣さんは、あいかわらず私たちの歩みの遅さを心配しながらも、変わらぬバックアップをしてくださっている。謎の中東人、藤岡さんは、ニューヨークから金沢に戻ってくるたびに、私たちの映画のために奔走してくださっている。
 その他にも穴水町の岡崎さん、輪島市の大積さん、能登広域観光協会の向田さん、そして県庁の堀岡さんなど、たくさんの協力者が映画実現へむけて努力してくださっている。
 地元で期待されはじめている。地元が動いている。
 これが前回との一番の違いだ。向かい風がやみ、追い風が吹こうとしているのだ。
 私たちはこの追い風を受けて、キャスティングを固め、出資企業と協賛企業を募り、夏の撮影に入るのだ。いや、入らなければならないのだ。
 そんな決意を新たにしたとき、思ってもいなかった大事件が起こった。
 地震が能登半島を襲った。
 二〇〇七年三月二十五日のことだった。

 第3章終了・・・。

|

« 4-1 三月二十五日の能登半島地震。 | トップページ | 3-6 石川県で支援組織が生まれる。 »

第3章 明けない夜はない。」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1008911/20917602

この記事へのトラックバック一覧です: 3-7 『海辺のテーブル』にタイトル変更。:

« 4-1 三月二十五日の能登半島地震。 | トップページ | 3-6 石川県で支援組織が生まれる。 »