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1-8 初めての銀幕行脚、金沢へ。能登へ。


 白羽監督はもう何度も能登入りをしているけれど、私は未だ舞台となる地を訪れていない。
「それは関係者としてアカンのちゃうか」
 会議の後の食事のときに白羽監督にそういわれた。
「今度、一緒に行こうよ」
 ありがたいお誘いだった。
 実は、私は北陸地方をほとんど知らない。
 大学時代の同級生が金沢出身で、結婚式のときに招待されて訪れたことはあった。小さなプロダクションに就職したてのときで、身の程知らずにも私は結婚もして子供が生まれた直後でもあったので、小さな新居は貧窮の極みの状態だった。金沢に行ってもおいしいものを食べ歩くこともなく、観光地をまわることもなかった。
 いわば今回が初金沢、初能登入りといっても過言ではない。
 白羽監督と私は、大阪を朝の八時四十二分にでるサンダーバードに乗り込んだ。以後、この列車が私たちの通勤列車になるとは、そのときはまだ知るよしもなかった。
 食事を楽しんでいる席でもそうだけれど、白羽監督は列車のなかでもいろいろと映画の世界のことを教えてくれる。
 私は広告業界の人間なので映画の世界は初心者だ。裏話をまじえながらの映画講義は、若葉マークの私に有意義な時間となった。
 晩秋の北陸は天候が不順だ。晴れたと思えば曇り、雨が降ったと思ったら虹がかかっていたりする。
 その日の金沢も厚く重い雲に覆われ、ときおり突風が吹くあいにくの天候だった。
 ツテのツテを頼って、何社かの企業へ協力のお願いへ伺った。
 正直にいってお会いする方々の反応はイマイチだった。どこの馬の骨がやってきたのか、という感じ。まずはどんなヤツか見定めなければという感じ。
 しかしそれはもっともなことだと思う。立場を逆転して考えればいい。
 ある日突然、映画をつくるから会って欲しいといわれて、まだ具体的でもない企画を聞かされて、さあやんなはれ、好きにしなはれ、協力はおしみませんなんていえるだろうか?お金以外のことで、映画ができたら協力しましょうというのが関の山だ。
 また、当時は、次の春に松竹映画の『釣りバカ日誌』が能登で撮影されることが決まっていて、行政の人もマスコミ関係者も映画といえば『釣りバカ』一色だったのだ。
「あちらは大手、あんたらは弱小映画。わしらは大手のお手伝いで手一杯」
 なんていわれたこともある。
 初めて金沢へ入り、ブリーフィングを重ねた私は空を仰いだ。この天候と同じだ。風は向かい風で、目の前には厚く重い暗雲が立ちこめている。
 地元の映画をつくりたいとスタートしたはずなのに、地元にはまったくその気がないという現実をつきつけられて、私は正直戸惑ってしまった。
 B氏の話と違うな。
 村上春樹の小説の主人公なら“やれやれ”と呟くだろうし、本宮ひろ志の漫画の主人公ならその辺りのゴミ箱を蹴り飛ばしているだろう。
 大阪の会議室の温度と、地元の温度との違いを初めて知った日だった。

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